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japonlardan-turkiyeye-aglatan-jestler[1]日本トルコ友好記念 / Japonya ve Türkiye Arasindaki Dostluğun Anisina

2015年は日本とトルコの友好125周年です

日本とトルコには、世界でも稀に見る友好関係の歴史があります。その礎を築き上げたのは、100年以上前の日本人と、トルコの人たちです。

世界にも稀に見る日本とトルコの永い友好関係の背景には、数えきれないほどの感動的なストーリーがあり、今日まで絶えぬ友好の地盤となってきました。

日本とトルコが友好関係を築き上げて来てから125年、今あらためて注目されつつある中近東の雄「トルコ」と、高度経済成長期に世界一の経済発展を遂げた日本との、深い友情について紹介をしながら、日本のみなさまを始め世界中でこの日本とトルコの友好関係を発展させるべく、特設サイトとして立ち上げを行いました。

早速、125年前、日本とトルコの間で何があったのかを紐解いていきましょう。

 Story.1 エルトゥールル号の遭難

Story.1 エルトゥールル号の遭難

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トルコと日本の間には、世界でも稀に見る友好関係があります。その礎を築き上げるきっかけとなった出来事は、1890年に和歌山県串本町沖で遭難した軍艦エルトゥールル号に始まります。

1890年(明治23年)9月16日の21時頃、折からの 台風により強風で煽られたトルコ、旧オスマン帝国軍艦エルトゥールル号は岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は水蒸気爆発を起こしておよそ1時間半後に沈没してしまいました。これにより、600名以上の船員が海上に投げ出されてしまったのです。

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Story.2 トルコ航空の決断

「48時間後、領空上の全ての航空機を撃ち落とす」戦火に取り残された日本人を救ったのは、トルコだった。

1890年のエルトゥールル号の救出劇からおよそ1世紀、1985年3月17日。当時はイラン・イラク戦争のまっただ中にありました。そんな中、ついにイラクの大統領サダム・フセインによる、イラン首都・テヘランへの無差別爆撃が発表されたのです。

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「48時間後、イラン領空上の全ての航空機を撃ち落とす」

空港へと必死になって急ぐ日本人たち。商社マンに技術者、その家族の中には子連れや妊婦もいました。もはや一刻の猶予も残されていない中、空港に到着した日本人たちに突きつけられたのは「搭乗拒否」───外国の航空会社は自国民の救出を優先したのです。

日本政府も手を尽くしますが、安全上の保証が確保されていない事を理由に日本航空機のチャーター便ですらフライトを拒否。もはや取り残された日本人たちに頼る術は無くなったかのように思えたその時、トルコから2機の特別便がテヘランに降り立ったのです。

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